excuse/motivation

凄まじい演奏だった。

これが適切な表現かは分からない。けれど、自分が感じた音楽の渦は、明らかにこれそのものであり、圧倒的なものだった。


2022年1月22日、神戸松方ホールにて、アンサンブル神戸創立25周年記念・第22回特別演奏会が開催されました。アンサンブル神戸は、1995年の阪神淡路大震災後の慰問演奏をきっかけに結成された、松方ホールを拠点とするオーケストラで、特別演奏会は、通常の定期公演とは別に、震災の記憶を留めておこうと始まった演奏会です。今年そのコンサートにて、三枝成彰さんのピアノ協奏曲が委嘱者のピアニスト辻井伸行さんのソロによって関西初演を迎えました。

辻井伸行さん〜言わずと知れた、日本を代表する国際的なピアニスト。ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで日本人初の優勝を勝ち取られて以来、世界中で活躍を続ける、超売れっ子です。生まれた時から全盲で、お母さまと共に試行錯誤の上、ピアニストになられたお話は、あまりにも有名です。

辻井さんが活動を始められたのが、私が自身の子育てに時間を取られていた頃だったからでしょうか。そんなピアニストがいらっしゃるというのは知っていても、実演に接したことも、ネットで拝聴したこともありませんでした。でも今回オケ中で演奏させていただけること、そしてそのチケットが販売当日に売り切れとなってしまったと聞き、沢山の人の心を魅了する演奏とはどういうものなのだろう興味が湧き、ネットで動画を視聴させていただきました。

一瞬で心奪われました。明らかにそこに水が、海が見えるのです。そして、そこには色があり、かつ立ち昇ってくる香りまで感じるのです。もっともっと、その魅力を言語化したくて、他の人の『喜びの島』も色々聴いてみました。そして辻井さんの演奏に戻ってくると、楽譜という2Dの世界がなく、ただただ音が映像化され、それは3DどころかVRの世界ではないかと思えたのです。人には見えていない、自分の背後にも世界は広がっており、常に姿を変えている気配がする、そんな感覚を受けました。音そのものにも、音楽にも、感銘を受け、実際に演奏を間近で感じられることがどんなに楽しみになったことでしょう!!!


三枝成彰さんのピアノコンチェルトは、楽譜をいただいた時点で、これは大変だ!と感じていました。テンポ120の中、オケパートには相当吹きにくいパッセージが其処彼処にあり、しかも複雑な拍子で合わせにくそう、かなり手強そうでした。一方ピアノパートはそれ以上の複雑さで、こんな重音だらけな楽譜をどうやって読むのだろうか、本当に最後まで止まらずに演奏できるのだろうかと心配でした。

練習初日1枠目は、まずオケパートのみの通し。意外にも通りました。数日前に東京で初演された時のテンポがありがたいことにテンポ100の一桁台ぐらいだったそうで、少し、心配は緩和されていました。そして何より、みんな良く勉強してきている!ここはこのパートを頼りにしてるってところ、かなりあったので、本当に助けられました。でもまだまだ、ここにソリストが入らなければ、成立しないのです。

リハーサル2枠目はいよいよ辻井さん登場。指揮者が軽く予備拍2拍をささやくと、いきなりすごい轟音が聴こえて来ました。それはピアノの音でした。両手ずつそれぞれ三和音を16分音符でffで刻み続ける音。正直、びっくりしました。勝手なイメージですが、辻井さんのこと、音の美しい繊細なピアニストだと想像していました。その人からまさかホールの空気どころか、ビル中の空気を振動させているのではないかと思うような音が出てこようとは!

その後もリハーサルから本番まで、何度も辻井さんの音を聴くわけですが、どれもこれも凄まじい音でした。一度だって手加減して弾くってことはないみたい。そして、あんなに音数の多い楽譜を全部暗譜で弾かれているのです。普通に目が見えている人でさえ、暗譜することも、弾きこなすことも、難しいはずです。それを全身全霊で表現する姿は神々しく、ただただ圧倒されながら、本番が終わりました。


人なんて、誰しも多かれ少なかれexcuseしながら生きてません?忙しいから、とか、体調悪いから、とか、背が低いから、お金がないから、好きじゃないから、才能ないから、やったことないから、雨だから、遠いから…やらない言い訳はいくらでも出来ます。私も昔から大の言い訳人間です。

生まれながらの全盲–これは人生において相当なexcuseです。でも辻井さんは、決してこれをexcuseだと思っていらっしゃらないのでしょう。公式サイトのプロフィールにも自身が視覚障碍者であることは述べられていません。そんなインフォメーションが必要ないほど、彼は一人の音楽家として生き、人々に感動を与え続けるアーティストとして存在しているのです。そのために、どれだけの時間とエネルギーをかけていらっしゃるか・・・凡人の私には易々と想像できることではなさそうです。


このリハーサルが始まる前日、大阪のいずみホールにてサン=サーンスのクラリネット・ソナタを演奏する機会をいただいていました。いずみシンフォニエッタ大阪でご一緒しているピアニストの碇山典子さんに、私が譜面から読み取った世界観を丸ごとお伝えし、碇山さんのフランスものに対する愛情をいただきながら、本番ではこれまでに味わったことのないサン=サーンスを皆さまにご披露できたかと思います。たくさんのお客様から拍手をいただき、後から、立って『ブラボー!』と叫びたかったというお声もいただきました。演奏家の端くれとして生きる私ですが、私たちが奏でる音楽に耳を傾ける時間を頂戴し、それを喜んでいただけることほど嬉しいことはありません。本当に幸せなことです。

演奏後、コンサートの進行役の作曲家の西村朗先生と舞台上でトークの時間がありました。そこで先生から

「あなたは楽器を吹いていてたのしいですか?」と聞かれました。

「私はクラリネットという楽器があまり上手じゃないので、楽器を演奏していて楽しいとはあまり思いませんが、音楽を奏でることは楽しいです」といったことをお答えしたと思います。(終わった直後のアドレナリン放出状態で、正確には覚えていない・・・)これはウケ狙いでもなんでもなく、私が常日頃感じていること、そのままの言葉です。残念ながら、私はクラリネット奏者として、特別な美音の持ち主でもないし、特別に楽器の扱いが上手いわけでも、人々が驚愕するようなテクニックの持ち主でもない。ただ、向き合う楽譜を読み取り、そこに命を吹き込みたい、と思っている。こうしてあげるとすてきだなぁ、と感じることを具現化したい、そのために私が扱える楽器は長らく付き合ってきたクラリネットだということだけなのです。

当初は、辻井さん見習ってno excuseでやらないとだめだよね、っていう結論に行き着くはずでした。でも書き進めるうちに、少し変わってきたようです。

楽器が上手じゃないから、はexcuseです。でも、だからやらないのではなく、それでもやるにはどうしたら良いか、私には何ができるか、良くするにはどうしたら良いか、考え、行動している。やらない理由はexcuseではなく、やる理由はmotivation なのだと気がつきました。『意外と頑張ってるやん、私』って、自己肯定甚だしいですが、少しは褒めてあげようかな、という気になりました。


書いては消し、書いては消し、大した結論でもないのですが、10日以上もこんなことを考え続け、やっと1年以上ぶりに気まぐれエッセイを書くことができました。自分にとっての座標です。

さあ、おうち帰ったら、明日からのリハーサルの練習しよ。3日前くらいから、やばい、やばいと気づき始めました。

excuseせずに、頑張るよー。