dark past

dark figure in building with red carpet
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今年も日本音楽コンクールが終了しました。かつて私が唯一取れたコンクールであり、それきっかけでいただくお仕事が増え、今も楽器を吹き続けられているわけですから、私にとって、とても特別な存在のコンクールです。毎年この時期になると、思い出す出来事があります。

時は1999年、米留学から完全帰国。このころ日本でも携帯電話を所有していることが当たり前になってきていました。私も初めての携帯電話はこの時購入しました。当時の携帯電話は、短いメールなら送受信できるようになっていましたし、便利なツールとしてどんどん発達してゆく第1段階だったでしょうか。

第68回日本音楽コンクール、一次予選を奇跡的に通過し、二次予選の演奏を終え、ほぼ諦めモードでした。私は二次予選二日目の一番最後の演奏者でしたが、これまでの経験上、コンクールの結果が出るまでに相当時間がかかるだろうと思っていましたので、気分転換にご一緒してくださったピアニストさんとホール地下でお茶することにしました。なんやかんやと話していると、おそらく1時間以上経っていたのだと思います。そろそろ戻りましょう、とホールエントランスに行ってみると、扉は締まり、中は真っ暗で誰もいない!すっかり終了している様子でした。そこからの行動は、ものすごく焦っていて、記憶が定かではありません。

確かなことは、二次予選通過者の張り出しはとっくに終わっており、5名の本選出場者のうち4名は、早々に事務局に集合され、本選会の演奏順を決めるくじ引きのため、残りの1名が来るのをずっと待っていらしたこと。ところが、待てど暮らせどその1名は現れないし、本人の携帯電話は通じない、実家に連絡を取っても本人には連絡がつかない。事務局の毎日新聞記者さんは、くじ引きは本人が行わなければ公平性が失われるが、これ以上この4名の方々を待たせておくわけにはいかないし・・・と考えた末、その行方不明1名の代役を事務局の男性に任せ、くじ引きを行うことを決断されたのです。

行方不明の残り1名・・・・・はい、私です。

地下街にいたのが、まずかったですね。当時はまだ地下では携帯電話の電波が悪く、着信しませんでした・・・・・いやいや、というか、もっと初歩的なこと、もっと早くにホールに戻っておくべし、でした。危うく『仁和寺にある法師』のように、本来の目的が遂行されなかった=本選出場逃したかも、な状況でした...滝汗

これまで、色んなコンクール、オーディションを受け続け、なかなか上手くいかない事の連続だったため、きっと進んで結果を見にゆく気になれなかったという逃げもあったでしょう。“事の顛末を最後まで見届ける”、改めて思い知りました。いろんなことがままならないご時世ですが、みなさま、どうぞ私のようにはならず、しっかりと自分の目で全てを確かめ、見届けてくださいね。

さてさて、遅ればせながら事務局にゆき、諸々手続きを終え、無事本選には進ませて頂くことになりました。演奏順は4番。きっと自分で引いていたら1番だったろうなぁと思い、くじを代行して引いて下さった方にとてもとても感謝しました。

その後色んな方にひたすら謝罪。殊に実家の母には、連絡が1番最後となったので、本当に心配させてしまいました。彼女は、私が結果も見ずに新幹線に乗ってしまったのではと思ったそうです。

昨日はハロウィンでしたが、私のこの恥ずかしい黒歴史も取り払ってもらえないかな...