将来、何になりたい?
私の最も古い記憶は、幼稚園の年長組さんの時のもの。大きくなったらなりたいものを絵にかいてねーと言われ、描いたのが『女王さま』—どうしてprincessではなくqueenだったのだろう。
小学生になって、スチュワーデス(今で言うCA)という新たな夢ができた。夢の実現に向け、どこかの子供向け雑誌に書いてあったスチュワーデスになるための条件をどうやってクリアしようか考えた。
- 160センチ以上身長が必要→牛乳をたくさん飲む
- 柔軟性が高くなくてはならない→当時は180度開脚して、前屈すると胸を床にぺったり付くことができたので、OK!
- 英会話力が必要→幼稚園の発表会では浦島太郎の英語劇があり、私は龍宮城のお姫様に選ばれ(とは言え、1場面に3人もいました 汗)、堂々と“banana”と叫んだくらいだから、英語知らないわけじゃないし、自宅では父がカセットテープの英語教材で英会話のトレーニングをしていたので、自分もこれを使えばいける!
等々、確証はないが、夢を実現するために行動はしていたようだ。
中学の頃には、音楽の教師になろうと思っていた。色んな素晴らしい先生方との出会いもあったし、逆にとても反発した先生もいて、反面教師的に捉えていた。でも実は、その反発した先生が、本当は高校の教師になりたかったのだと聞いて、自分は高校の教師になろうと考えていた。
高校生の頃には夢は目標となっており、クラリネットを専攻して、教育系の大学に進み、教員免許をとる、という筋書きを描いていた。ところが、受かった教育系大学には進学せず、滑り止めのつもりで受けた私立大学に進学。私の周囲では、国公立を蹴るなんてとか、教師を目指しているなら、音楽よりも教育の勉強が出来るほうが良いとか、私立に行くにしても、こっちのほうが偏差値高いし、結婚式ではこの大学名のほうが華々しいとか、それはもう散々いろんな声が上がったが、私の意志は変わらなかった。
大学では、常に試演会・勉強会・コンクール...と人前で演奏することを多く与えられた生活だった。演奏して行く中で、音楽を表現して行くことが、私をもっともっとと駆り立てた。そしてやがて演奏家になりたいと思い至っていた。
私の夢は、時間経過とともに形を変えて行った。今思えば、それは雲のように、繋がりのある夢の経歴。
女王さまにはならなかったけれど、高校時代のブラスの部室は、私をお局さまとした大奥と名付けてもらっていたし、その後も色んなグループに関わらせてもらう中で、ラスボス気質は発揮しているようだ。
スチュワーデスにはならなかったけれど、英語が話せるようになろうと思った事は、留学にも、今海外の人と仕事する上でもとても役立っている。
高校の音楽の先生にはならなかったけれど、沢山のブラスを頑張る中高生の指導を通して交流があったし、そして今は、クラリネットをはじめ、音楽を教えるという立場をいただいており、私はこれがとても大好きだ。
私の夢の数々は、今の私を形作っている。
最後に今の私の夢・・・夢を持つ人を応援すること、夢に向かうひとの助けとなること、そして、夢を持たない人の灯台になること。
3つ目が一番難しい。夢を持たない人の気持ちが、私には正直わからない。だけど、目下精進中。求められていないかもしれないが、いろんなところに光を当てて、見せてあげたい。
そして、また新たな私を形作ってゆく。